2024年12月6日、女優で歌手の中山美穂さんが54歳の若さで急逝されました。
突然の訃報に多くのファンや関係者が大きな悲しみに包まれています。
彼女は80年代から90年代にかけて日本のエンタメ界をリードし、その才能と存在感で多くの人々を魅了しました。
まさに昭和と平成の時代を駆け抜けたスーパーアイドル。
中山美穂さんが遺した作品や功績を称える声が多く上がる一方で、一部のSNSでは彼女の過去についてさまざまな憶測が飛び交っています。その中には、「夫や子供を捨てた」という事実とは異なる見方も見受けられます。
この記事では、そうした中山美穂さんのこれまでの活躍に敬意を表し、
間違った見方を是正する一助になればと思います。それでは行きましょう。
中山美穂は夫や子供を捨ててない!
中山美穂さんは2002年に芥川賞作家でミュージシャンの辻仁成さんと結婚しました。
結婚後は日本での芸能活動を一時休止しフランス・パリに移住。
2004年には長男を出産し、家族3人で幸せな時間を過ごしていました。
当時テレビ局の取材に対して、
パリに移住した理由について聞かれると中山美穂さんはこう明かしていました。
・どこか日本じゃないところが良かったんですけど、一番パリが生活しやすそうだなって
・子供を育てていく上でも普通に暮らす感覚が得られそうな気がして
・芸能人の子供として特別視されることのない環境で育てたい
スーパーアイドルとして、マスコミに追われる日本では無く、
海外で普通の暮らしをしながら子育てしたい、という中山美穂さんの一人の母として幸せを願う気持ちや子供への愛が伝わってきますね。
しかし、2014年、中山美穂さんと辻仁成さんは離婚を発表。
長い協議の末の決断でした。
離婚理由は、お互いに仕事で日本とパリを行き来する生活を続けるうちにすれ違いが生じた為。
しかし一部のマスコミが、
中山美穂さんが他の男性と交際し、一方的に夫と子供を捨てた!
という中山美穂さんを悪者に仕立て上げるような記事を報道。
実際には、それはきっかけに過ぎず、
それ以前に夫婦間での価値観や生活のすれ違いがあったのが真実だと思います。
何も知らない第三者が夫婦問題に口出し、言及すること自体が間違っていますよね。
離婚というのはどちらか一方が悪い、ということは無く、
信頼関係が無くなったり、心が離れてしまうのは、相手にも何かしらの落ち度や原因があるはずです。
それにもかかわらず偏った報道により、中山美穂さんが一方的に離婚に対して、
マイナスイメージを植え付けられる結果となってしまいました。
離婚の為には親権を譲るしか選択肢がなかっただけ!
中山美穂さんは、苦渋の末、親権は元夫に譲渡する形となりました。
辻仁成さんとのパリでの生活をこれ以上続けられないと感じていた中山美穂さんは、
それに従うほかありませんでした。
フランスの法律下での離婚であれば、共同親権になりますが、
日本では離婚時に親権が一方にしか与えられないため、親権を譲渡することは特に国際的なケースでは避けられない選択になる場合があります。中山美穂さんも「子供にとって一番良い環境を」と考えた末、親権を元夫に譲る決断をしたのです。
中山美穂さんの子供への思い
中山美穂さんが離婚後も母として息子への愛情を持ち続けていたことは、過去のインタビューから伺えます。
「次にいつ息子と会えるかは父親の判断なのですが、いつもいつも愛していることは伝えているし、できるだけそばにいることも伝えています。私にできることは限られているかもしれない。でも、できることは本当にすべてしてあげたいと思っています」
(『Numero TOKYO』2015年1・2月合併号)
テレビやコンサートでは明るい元気な中山美穂さんの記憶しかありませんが、
我が子に会いたくてもなかなか会えない葛藤や悲しみが心の中には相当あったのでは無いでしょうか。
まとめ
今回は、「中山美穂は夫や子供を捨ててない!離婚の為に親権を譲るしか選択肢がなかっただけ。」
と題してお届けしました。
連日報道される中山美穂さんのニュースへのコメントを見ると、あまりにも中山美穂さんの当時の離婚に対して捻じ曲がったイメージを持ってる方が多いと感じました。
結論としては、中山美穂さんも辻仁成さんも、どちらか一方が悪くてどちらか一方が悪くないと決めつけるものは存在しないということ。つまりどちらも悪くないと言うことです。
残された家族が穏やかに過ごせることを願っています。
そして中山美穂さんの笑顔や名曲の数々はこれからも私たちの記憶に残り続けるでしょう。
最後まで記事を読んでいただき、ありがとうございました!