2025年6月3日、野球界のレジェンド・長嶋茂雄さんが89歳でご逝去されました。
その偉大な功績とともに、今改めて注目されているのが「ご家族」の存在です。
特にネット上では「長嶋茂雄の子供って何人?」と話題になっています。

子供何人いたんだろう・・?
そこで今回は長嶋さんのご家族――妻・亜希子さん、そして4人のお子さんたちのプロフィールや関係性、時に語られてきた“家族の確執”についても、温かな目線で深掘りしていきたいと思います。
最後までぜひご覧くださいね!
・長嶋茂雄さんを献身的に支え続けてきた妻・亜希子さんとの出会い、馴れ初めについて
・長嶋茂雄さんの4人の子どもたちのプロフィールと現在について
・長嶋茂雄さんと長男・一茂さんの「確執」報道の真相について
長嶋茂雄さんの妻・亜希子さん──才色兼備で夫を支えた人生


まずは長嶋さんの妻・長嶋亜希子さんを振り返ってみましょう。
家系と学歴
亜希子夫人は、1943年、東京都渋谷区生まれ。旧姓・西村。
父は出版社・内外出版社の代表、祖父は「一握の砂」などを出版した東雲堂書店の創業者
という文化的な家庭環境で育ったようです。
田園調布雙葉中学校・高等学校在学中に、アメリカ・インディアナ州のココモハイスクールに留学し、その後ミネソタ州の聖テレサ大学を卒業しました。
この留学経験により、英語・フランス語・スペイン語に堪能となり、国際的な感覚を身につけたようです。



まさにトリリンガルな才色兼備な女性だったんですね!
長嶋茂雄さんとの出会いと結婚
1964年、東京オリンピックでコンパニオンとして活動していた際、報知新聞主催の対談で当時読売ジャイアンツの三塁手だった長嶋茂雄さんと出会いました。
茂雄さんが一目惚れし、知り合ってからわずか40日後の1964年11月26日にスピード婚約したエピソードは有名です。
1965年1月26日、巨人の長島茂雄と西村亜希子さんの結婚式が午前11時半よりカトリック渋谷教会にて正力亨巨人軍取締役夫妻の媒酌で行われる。午後2時半からのホテル・ニューオータニ「東の間」での記者会見の後、午後4時半から「芙蓉の間」にて披露宴。各界から約350人が出席、盛会だった。報知65.1.27 pic.twitter.com/IpCqBriEuA
— 振り逃げ満塁ホームラン (@furinige2013) January 26, 2018
翌1965年1月26日、渋谷区南平台のカトリック渋谷教会で結婚式を挙げました。
披露宴はホテルニューオータニで行われ、政財界や芸能界から多くの著名人が出席したそうです。
結婚後の役割と家庭での存在
結婚後は、長嶋茂雄さんのモットーである「男の職場に顔出すな」を忠実に守り、家庭を支えたそうです。
亜希子夫人は、茂雄さんの個人事務所である株式会社オフィスエヌの代表取締役を務め、実業家としても活躍しました。
2002年には、環境省の「環の国くらし会議」メンバーとして、環境問題にも取り組みました。
また、1991年には著書『私のアメリカ 家庭料理』を出版し、アメリカ留学時代の家庭料理を紹介しました。
晩年と逝去
2004年3月4日、夫・茂雄さんが脳梗塞で倒れた際には、リハビリテーションに付き添い、献身的に支えたようです。
同年6月には、長男・一茂さんに双子の娘が誕生し、祖母となりました。
晩年は自身も膠原病を患い、闘病生活を送っていたようです。
2007年9月17日、長男・一茂さん夫妻らと会食後に体調不良を訴え入院。
翌18日午前4時33分、心不全のため東京都内の病院で逝去されました。享年64歳でした。
長嶋亜希子さんは、国際的な感覚と教養を持ち合わせた才色兼備な女性であり、長嶋茂雄さんの妻として、そして4人の子どもたちの母として、家族をまとめ、支える立場で生涯を全うした人物でした。家庭を大切にしながらも、実業家としても活躍し、多方面で才能を発揮されたその生き方は、多くの人々に感動と尊敬を与え続けています。



続いて4人のお子さん達について見ていきましょう!
長嶋茂雄さんの子どもは4人──それぞれの道と現在の姿
結論から言うと、
長男・長女・次女・次男と、それぞれ異なる道を歩んでいます。
ここでは、それぞれのプロフィールと現在の活動を詳しくご紹介します。
長男:長嶋 一茂(ながしま かずしげ)さん


- 生年月日:1966年1月26日(59歳)
- 出身地:東京都大田区田園調布
- 経歴:立教大学卒業後、1987年ドラフト1位でヤクルトスワローズに入団。
1993年に読売ジャイアンツへ移籍し、1996年に現役引退。 - 現在:タレント、俳優、スポーツコメンテーターとして活躍中。
- 特徴:極真空手の有段者でもあり、知識とユーモアを生かしたコメント力に定評があります。
父・茂雄さんと同じ野球の道に進んだ一方で、「比較され続けたこと」や「父の偉大さ」が重荷になったと自ら語る場面もありました。
長女:長嶋 有希(ながしま ゆき)さん
- 生年:1967年頃(推定57〜58歳)
- 活動歴:2010年までは長嶋家の資産管理会社「オフィスエヌ」の役員を務めていましたが、同年に解任されています。
- 現在:一般人として生活。メディア出演や公の場への登場は一切なし。
2010年、弟の一茂さんとともにオフィスエヌの役員から解任されて以降は、表舞台から姿を消しています。
一部で「軽度の障害があるのでは」との報道もありますが、
次女:長島 三奈(ながしま みな)さん
- 生年月日:1968年6月3日(57歳)
- 経歴:田園調布雙葉高、日本大学文理学部哲学科卒。
1991年にテレビ朝日に入社し、スポーツ記者として活躍。 - 代表番組:『ニュースステーション』スポーツコーナー、『熱闘甲子園』メインキャスター。
- 現在:長嶋家の個人事務所「オフィスエヌ」の代表取締役社長。
2004年に父が脳梗塞で倒れた際、治療やメディア対応などを中心になって行い、
“家族のまとめ役”としてその存在感が一気に強まりました。
また仕事では、2014年にテレビ朝日との契約が終了し、現在はフリーで活動しています。
☝️2024年5月には東京ドームで行われた巨人対阪神戦の始球式にも登場するなど、現在も公の場に立つことがあります。
次男:長島 正興(ながしま まさおき)さん
- 生年月日:1970年9月26日(54歳)
- 経歴:暁星国際高等学校卒、駒澤大学経済学部に進学。
1992年からモータースポーツの世界で活動を開始。 - 職業:元レーシングドライバー、環境活動家
- 戦績:全日本F3選手権やスーパー耐久などに出場し、2003年にはシリーズチャンピオンも経験。
- 現在:環境分野に関心を持ち、環境リポーター・インタビュアーとして活動。
あと長嶋茂雄の息子でもある長島正興もインディの登竜門でもあるフォーミュラ・アトランティックシリーズに99年~2000年まで参戦してたな#インディカーシリーズ pic.twitter.com/mNkdcbVcWT
— ʟ ʏ🏁🏎 (@Lywz3581) December 3, 2023
レース引退後はメディア露出を控えていますが、環境活動などの分野では独自のスタンスで発信を続けています。
このように、4人の子どもたちはそれぞれ異なる人生を歩んでおり、
華やかな道を選んだ人もいれば、静かに暮らす選択をした人もいます。
その背景には、それぞれの個性、家族内での役割、そして父・茂雄さんという大きな存在との向き合い方がありました。
長嶋茂雄さんと長男・一茂さんの「確執」と報じられた関係の真相とは?
長嶋茂雄さんと長男・一茂さんの関係は、長年にわたって「不仲」「確執」と報じられてきました。
特に世間が注目したのは、2010年の事務所解任騒動と、父の介護への関わりが少ないのでは?と報じられたことが発端だったようです。
そこには、家族だからこその「立場の違い」「重すぎる父の存在」といった、複雑な背景があったのではないでしょうか。
■ 一茂さんと姉・有希さんが事務所役員を解任された騒動
2010年、長嶋茂雄さんの個人事務所「オフィスエヌ」から、
一茂さんと長女・有希さんが突然解任されるという出来事が起こりました。
これは、父のマネジメント方針や財産管理をめぐる家族内の経営的対立が背景にあったと言われています。
特に当時のメディアは、
などと伝え、
一茂さんとの“決裂”を大きく取り上げました。
■ 介護や公の場で見えた「距離感」
2004年、茂雄さんが脳梗塞で倒れた際、
リハビリやメディア対応の場面で主導的に動いたのは次女・三奈さんでした。
一方の一茂さんは、介護の場にはあまり姿を見せなかったことから、一部のファンからは批判が集まったようです。
しかし実際には、家庭を持ち、自分自身の人生を抱えていたこと、
そして父との関係において「ほどよい距離を保つことが必要だった」と、後年本人が語っています。
■ 一茂さんの言葉に見える「父への複雑な思い」
テレビ番組などで一茂さんは、時折こう話しています。
「親父はすごい。自分が同じ土俵にいようとするのが間違ってた。」
「ずっと比べられ続けてきた。だから適度な距離が大事だった。」
こうした発言から見えてくるのは、“大きすぎる父の影”とどう向き合えばいいか悩んできた、
一人の息子としての素直な葛藤と、深い尊敬です。
■ 最後までつながっていた「静かな絆」
晩年、茂雄さんが表舞台にほとんど出られなくなってからも、
一茂さんは節目のタイミングでメディア越しに父への想いを語ってきました。
2025年6月3日に長嶋茂雄さんが逝去された際にも、長男の長嶋一茂さんは、父への深い敬意と感謝の気持ちを込めたコメントを発表しました。
その中で一茂さんは、父・茂雄さんの人生を次のように表現しています。
「父にとって野球は人生そのものであり、最愛の存在でした。…父の野球人生は誰よりも幸せな89年間だったと感じております」
さらに、父の存在を象徴的に表現し、次のように述べています。
「長嶋茂雄は野球の星に帰りました…」
これらの言葉からは、偉大な父への尊敬と、父が野球界に遺した功績への誇りが感じられます。
かつては「不仲」「確執」とも報じられた長嶋茂雄さんと一茂さん。
けれど、その背景には、比べられる苦しさや、偉大な父を思うがゆえの葛藤、
そして「親子だからこそ分かり合えない時間」もあったのかもしれません。
それでも、一茂さんは節目のたびに父への敬意と感謝を口にし、
そして晩年には「長嶋茂雄は野球の星に帰った」と、美しい言葉でその生涯を見送りました。
一方、茂雄さんも、息子が自分と違う道を歩きながらも懸命に生きる姿を、
きっと誇らしく、そして静かに見守っていたはずです。
言葉にしすぎない、表には出さない――
それでも、確かにそこにあったのは「父と息子の絆」。
距離があったのではなく、それぞれの方法で、
互いを思い合っていた家族のかたちだったのだと、今あらためて感じさせられます。
まとめ:長嶋茂雄さんが遺したもの──それは、野球と、家族の絆
2025年6月、国民的スター・長嶋茂雄さんがこの世を去りました。
その訃報に、日本中が深い悲しみに包まれました。


けれど、その人生を振り返ると、偉大なのは野球の記録や功績だけではありません。
その背後には、家族というかけがえのない存在が、確かにありました。
妻・亜希子さんは、家庭を守りながら茂雄さんの人生を支え抜きました。
子どもたちは、それぞれの場所で、自分なりの道を選び、
時に葛藤しながらも、“父・茂雄”という大きな存在と向き合ってきました。
華やかな表舞台の裏で、長嶋家には人間らしい悩みや迷いもありました。
でもそれは決して特別なことではなく、私たちすべての家族にも通じる、
“すれ違いながらも、大切に思い続ける”という普遍的な絆のかたちだったのではないでしょうか。



これからも、彼の残した言葉や姿勢、そして静かに寄り添い続けた家族の姿は、
多くの人の胸に残り続けるはずです。
ミスター、本当にお疲れさまでした。
そして、ご家族の皆さまに、心からの敬意と哀悼の意を込めて。
最後まで記事をお読み頂き、ありがとうございました!
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